自分の存在が無視される国で生きるための「国歌」

ライブ中に中絶の権利やLGBTQの権利について声を上げ、「この曲は国歌じゃないけれど、私たちにとっての国歌」と語って歌を披露したレディー・ガガ。
彼女の言う「国歌」とは。そして僕にとっての「国歌」とは何か。
自分の存在が無視される国で生きるための「国歌」について。
富岡すばる 2022.08.17
誰でも

先日、レディー・ガガが公演中に自身の曲を「国歌」と呼んだというニュース記事(⇒レディー・ガガ、中絶とLGBTQの権利をツアーで擁護「私たちは止まらない!」)を目にした。記事によると、彼女は大ヒット曲「Born This Way」について『この曲は国歌じゃないけれど、私たちにとっての国歌です!』と語ったのだという。

彼女の言う「私たちにとっての国歌」とは。そして僕にとっての「国歌」とは一体何か。止まらないDIVA愛とともに、それらを探っていこうと思う。

***

“ゲイだろうとストレートだろうとバイだろうとレズビアンだろうとトランスジェンダーだろうと間違ってなんかいない

私は生き抜くために生まれた”

「Born This Way」(2011年)

性的少数者の存在に真っ向から光を当てたこの曲を「私たちにとっての国歌」と呼んだレディー・ガガ。ゲイ・バイ・レズビアン・トランスジェンダーといった具体的なワードを歌詞内に入れており、数ある歴代LGBTQ賛歌の中でも異質な曲である。さらに、その公演で彼女は「The Edge of Glory」という曲を披露する際に、『この曲を、妊娠した時に自分の体に不安を感じなければいけなくなった、アメリカのすべての女性に捧げます』とも語っている。

“私は栄光の果てにいて 真実の瞬間にしがみついている”

「The Edge of Glory」(2011年)

その背景には、アメリカで6月に、中絶を憲法で保障された権利と定めた「ロー対ウェイド判決」を最高裁が覆し、連邦レベルでの中絶保護がなくなったことや、それにより多くのアメリカ人が「婚姻平等を含むLGBTQの権利も奪われるのではないか」という不安を抱えるようになっている現状がある(斜体部分は上記記事より引用)。つまり、自分の権利や存在そのものが無視されるような国で生きる人たちに向け、レディー・ガガは自身の曲を捧げたというわけだ。

こんな言い方をするとおこがましいかもしれないが、僕には彼女の言葉の意味が痛いほどわかる。この国に当たり前にいて、当たり前のように日々の生活を送っているのに、まるで「いないもの」や「いてはいけないもの」であるかのように扱われるとき、疎外感を抱かずにはいられない。

そんなとき、僕にも自分だけの「国歌」が必要だった。本来の国歌によって祝福されることのない自分自身を鼓舞するためのアンセムが。

「Born This Way」プロモーションビデオより
「Born This Way」プロモーションビデオより

クリスティーナ・アギレラが歌う「美しい私」

僕が自分にとっての「国歌」を必要とし始めたのは、ゲイであることを自覚し出した中高生の頃だったように思う。西暦にすると2000年前後のことで、そのときまだ歌手レディー・ガガはいなかったが、当時も女性や性的少数者といった社会的マイノリティにメッセージを送るアーティストがおり、その中の一人がクリスティーナ・アギレラだった。彼女の「Beautiful」は当時の僕にとって正にアンセムと呼ぶべき曲であり、30代になった今でもことあるごとに心の引き出しからそっと出しては耳を傾けている。

“私は美しい 誰に何と言われようと

言葉では私を引きずり下ろせない

私は美しい あらゆる時も

そう 言葉では私を引きずり下ろせない

だからどうか私を引きずり下ろさないで 今日は”

「Beautiful」(2002年)

この曲のプロモーションビデオにはルッキズムに苦しめられる少女たちや、たくましい肉体に憧れる華奢な少年、男性同士のカップル、そしてトランスジェンダーの女性などが登場する。そのことからも明らかなように、この歌の眼差しは、今まで社会において「美しくないもの」という烙印を押されてきた人たちに向けられている。

自分を美しいと断言する歌詞の裏にあるのは、自分を引きずり下ろしてしまうような言葉が溢れている現実に他ならない。「私は美しい」という言葉は宣言であり、鼓舞であり、祈りでもあるのだ。一人のゲイとして、そして一人の人間として、この歌に励まされ続けている。

「Beautiful」プロモーションビデオより
「Beautiful」プロモーションビデオより

浜崎あゆみが歌う「僕ら」

そして次のこの曲も、10代の頃からずっと聴いている曲だ。

浜崎あゆみの「immature」。この歌詞には、心ない言葉にぶち当たったときや一向に先が見えない性的少数者の人権問題に直面したときなど、自分がこの国で生きていく際に必要としてきた言葉がつまっている。

“僕らはそんなにも多くのことなど

望んだりはしていないよ”

“僕らはきっと幸せになるために

生まれてきたんだって

思う日があってもいいんだよね”

“この瞳に映るものが全て

キレイなわけじゃないことを知っても”

「immature」(1999年)

自分の居場所がどこにもないと感じていた10代も、そしてもっと多くの人に居場所がある社会になってほしいと願っている30代の現在も、いつだって僕の心を代弁してくれた。この“僕ら”という、同じ時代をサバイブしている者同士に送られる浜崎あゆみの視線は、やがて「my name's WOMEN」(2004年)や「We are the QUEENS」(2016年)といった“女性たち”に向けて歌われたフェミニズムソングにもつながっていき、さらなる強い社会的メッセージを帯びていく。以前にも記事等で紹介したと思うが、彼女が2017年にInstagramに投稿した文章の一部を改めてここに載せたい。

『日本はどうしてこんなにもマイノリティへの理解がなかなか進まないのだろう(中略)例えばLGBTの人達に関するセクシャルマイノリティーしかり、女性が男性社会で権力を持ち発言しようものならマイノリティーオピニオンだ、と。だったら私はマイノリティーの一部として発信し続けようじゃないの』

「immature」2015年ライブ映像より
「immature」2015年ライブ映像より

ビヨンセが歌う「優雅さ」

そしてもう一人、このニュースレターを書く上で僕にとって欠かせないのがビヨンセだ。中でも好きなのが彼女の「Formation」という曲である。

これはビヨンセが初めて黒人差別に対して真っ向からNOを突きつけた曲で、“黒人っぽい自分の鼻が好き”“私は黒人版ビル・ゲイツになるかもね”“最高の復讐は金を稼ぐこと”などといった歌詞が並ぶ。黒人であり女性である、ダブルマイノリティのビヨンセが世界に向けたステートメントといってもいいだろう。他にも好きなフレーズはたくさんあるのだが、最も好きなのはこの一言だ。

“優雅でいよう”

「Formation」(2016年・プロモーションビデオ内で中指を立てて)

優雅でいることをリスナーに説きながら、本人はプロモーションビデオの中で派手に中指を立てている。つまり、差別に対して中指を立てることと優雅でいることは両立できるし、それらは何ら矛盾していないのだというメッセージだと僕は受け取り、それからずっと心の糧にしている。

またこの曲が収録されているアルバム「Lemonade」は、自分の夫に浮気されたという私的な話をこの社会で生きる黒人女性の話へと昇華させており、個人の話を社会の話という視点で語ることや、社会に怒りを表明することの重要性を教えてくれた。

なお、「Formation」も含めた「Lemonade」収録曲を複数歌ったコーチェラでのライブに密着したドキュメンタリー「HOMECOMING」では、さまざまな黒人識者(フェミニスト、作家、公民権運動家等)の言葉が引用されているのだが、そこでの一説は、自分たちの「国歌」が必要だと感じている人の胸にきっと響くのではないだろうか。それを以下に記したい。

『(今の世代への助言は)真実を語ること。まず自分に、そして子供に。今を生きること。過去を否定しないこと。この国を今より良くする責任が自分にあると知ること』

「Formation」プロモーションビデオより
「Formation」プロモーションビデオより

レディー・ガガが歌う「ここに残る理由」

このニュースレターを書く理由をくれたレディー・ガガについて改めて触れ、ラストを締めたい。冒頭でも紹介した「Born This Way」だが、彼女は2017年のスーパーボウル・ハーフタイムショーに出演したときにもこれを歌っており、その際、トランスジェンダーという言葉が入る曲が歌われたのはイベント史上初めてのことだとして話題になった。

さらに、移民問題で揺れていた中で「This Land is Your Land(この国はあなたの国)」のカバーも歌っている。こうしたエピソードや、ショーに出るにあたって彼女が出した『求められていないと感じる子供と、受け入れられることの難しさを知る大人のためにやる』というコメント等に触れると、冒頭の彼女の国歌発言の真意によりいっそう近づけるのではないだろうか。

また、世界中の女性に捧げると本人が語った「Million Reasons」という曲もハーフタイムショーで披露されているのだが、これはここまで紹介してきた数々の楽曲を聴く上で僕がなんとなく無意識に抱いていた思いをはっきりと言語化してくれた歌である。この国で生きるために必要な「国歌」とは何なのかという問いかけを前にし、恐らくこれ以上に答えとなり得る詞は今の僕にとってない。

これは女性に捧げられた歌であり、そもそも今まで紹介してきた歌手たちも女性という立場からマイノリティ性と向き合っているので、彼女たちの歌を男性である僕の言葉で語るのは違うかもしれない。でも、性的少数者の権利がきちんと確立されているとは言いがたい国で生きる上で、彼女たちの声が頼りだった。

それは決してこの国が嫌いとか憎いとか、そういうことが言いたいわけではなく。同時に、国を批判するなら別の国に行けばいいなどと言われる筋合いもなく。ただ国から自分の存在が無視されていると感じたとき、自分を奮い立たせる歌が必要だったのだ。この国でこれからも生きていくために。そして、ここにいるんだと声を上げられるようになるために。それが僕にとっての国歌なのである。

“ここを立ち去るための理由なら百万通りある

でもベイビー、私にはたった一つここに残るための理由が必要なの”

「Million Reasons」(2016年)

「Million Reasons」プロモーションビデオより
「Million Reasons」プロモーションビデオより

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