「好きになった人がたまたま同性だった」というBLに触れて
BL好きのゲイとしては憧れると同時に、でもまぁファンタジーだよねという気持ちも以前は抱いていたのだが、実際そういう「セクシュアリティを超越する恋」に出会ってしまった体験談を綴ってみた。
一時期、BLのライトノベルを読み漁っていた時期がある。今はあまり読まなくなってしまったが、その代わりここ数年はBLのドラマや映画が数多く作られるようになってきたということもあって、実写モノを観る機会がぐっと増えた。その中でなんとなく肌で感じてきたのが、「好きになった人がたまたま同性だった」というストーリー設定のBLが多いこと。
男性として男性を好きになるゲイの僕が、かつて人生で最も好きだと感じた人のことを思い出しながら、つらつらと書いていきたい。「自分のセクシュアリティを超越する恋」について。
BL好きのゲイとして
BLは登場人物たちがゲイやバイセクシュアルの男性同士で、出会った時点から互いに惹かれ合うという物語もあるが、その一方、それまで同性に惹かれたことなどなかった男性がたまたま出会った同性に恋をしていくというストーリーが多い。逆に、登場する男性キャラがみんな当たり前のように同性同士で恋やセックスをしていて、まるで同性愛者がこの世界のマジョリティのように描かれているBLも時々見かけるが、「ゲイ」や「バイセクシュアル」という言葉や概念を必要としないという意味において、それらは似ているようにも思う。
BL市場自体が女性作家メインの世界で、作品内で描かれているのもあくまで「男性同士のラブストーリー」であり、決して「ゲイやバイセクシュアル男性のリアル」とイコールではないということはわかっているつもりだ。BLでリバ(攻めと受けの逆転)があまり好まれない要因のひとつも、そこに男女カップルの関係性を投影しているからなのではないかとか、例えば受けが性行為中に何度も絶頂に達しまくるようなトンデモ性描写が時折あるのも、それ自体が女性のメタファーなのではないかとか、そんなことを考えながらも割と僕はそのファンタジーを楽しんできた(性暴力から恋が始まるストーリー展開だったり、当事者に対する偏見がにじみ出ていたりする作品は好きじゃないが、それはBLに限った話ではない)。
ただBLに触れるたび、自分のセクシュアリティを超越するような運命的な出会いなんて本当にあるの?と、懐疑的になっていたのも事実である。いや懐疑的というか、嫉妬に近いと言った方が正しいかもしれない。僕もそんな恋をしてみたかったのだ。
好きになった人がたまたま異性だったという恋
今さらだが、僕は昔からずっと男性が好きで、自分自身をゲイだと認識している。女性を性愛や恋愛の対象として見ることはなく、街中を歩いていても、真っ先にパッと目に入るのはやはり男性や男性っぽく見える人だ。
初恋の相手は中学校の同級生である男子だったし、周囲のみんなが異性との恋愛話で盛り上がる中、異性愛者ではない自分にコンプレックスを抱いていた。なんで自分だけ同性を好きになってしまうんだろう、と。だから、19歳の頃に出会ったある人に対しトキメキのような感情を抱いたとき、僕はそれが恋だとはしばらく気づかなかった。なぜなら、その相手は女性だったからである。
彼女はバイト先の先輩で、僕は彼女から仕事を教わった。歳も彼女の方がやや年上で、優しく穏やかな教え方をしてくれたこともあり、バイト経験もあまりなく常に緊張していた僕は彼女と同じシフトに入るだけで救われたような気分になっていた。
また、当時は自分がゲイだという事実を一人では抱えきれなくなっていて、死にたいと思い始めていた時期でもあった。誰にも本当のことを話せない。心の居場所がない。だけど泣くに泣けない。悲しそうにしていたら周囲からワケを訊かれる。でも訊かれたところで答えられない。だから笑うしかない、という部のループ。そんな状態にいた僕の心をふと読みとったのか、彼女は会ってまだ三回目くらいの早い段階で僕にこう言ってくれたのだ。
「泣いてもいいんだよ」
その一言は十数年前のほんの一瞬の間にかけられた言葉であるにもかかわらず、その時間帯も、季節も、向こうが着ていた服装すらも未だに覚えている。そして、泣いてもいいと声をかけてくれながらも僕が泣きたがっていた理由を一切訊いてこなかったことも。
彼女はその後も僕のことを気にしてくれつつ、決してプライベートに踏み込む問いかけをしてこなかった。だからこそ僕は彼女の前だけでは偽りの笑顔を作らずに済んだ。それまで同性愛者として生きてきた僕にとって、それは正に「好きになった人がたまたま異性だった」という恋の始まりだったのである。
今振り返ると、きっと彼女自身、人から興味半分で心に土足で入られる痛みを知っていたのだと思う。僕とはまた違う理由で。当時はそこまで思い至ることはなかったが、どことなく人との距離の取り方に自分と似ている部分を感じ、彼女が悲しみを吐露したときは僕もまた何も訊かずとも寄り添いたいと願った。
唯一カミングアウトをしなかった相手
この話を誰かにすると、それは単なる友情じゃないかとか、自分がゲイということを認めたくないだけじゃないかと言われることもある。でも、決してそうではない。彼女と会うときに感じた胸の高鳴り。帰り際のさみしさ。この人にとって自分はどんな存在なんだろうという不安。そしてこの人がいれば男性との恋愛なんて必要ない、とすら感じた気持ちがそれを物語っていた。
恋と一口に言っても彼女を性的に欲するようなことはなかったが、元々男性に対しても二人きりでいるときに性的な視線を感じたり自分が相手にそういう視線を向けてしまったりすることに気まずさを感じることがあった僕にとって、それらから解放された状態でトキメキを感じられるというのはむしろ居心地が良かった。ゲイであることによって感じていた孤独が彼女によって癒され、やがてそれが彼女へのトキメキになっていったというのは我ながら面白くも皮肉だなと思う。それゆえに僕は彼女に最後までカミングアウトをしなかった。仲の良い人には大抵話していたし、「ゲイだ」「男性が好きだ」と告げることは紛れもない事実のはずなのに、彼女の前だけでは嘘になる気がして。
結局、この気持ちは恋だったんだという結論が自分の中で出たのは、彼女と会わなくなってからのこと。同じ道をともに歩んでいけなかったことへの絶望感や、結婚すると聞かされたときに全く祝福できなかった自分の小ささなどに直面するたび、恋にやぶれた事実に気付かされた。
今も「好きになった人がたまたま同性だった」というBLに触れると、どうしても彼女の存在が頭をよぎる。もう会わなくなってしばらく経つし、未だに胸を焦がし続けているというわけでもない。それよりも男性同士のラブストーリーにキュンキュンする気持ちの方が圧倒的に大きい。
現在の僕はまごうことなきゲイなのだ。あれから彼女以外の女性にトキメキを感じたことは一度もない。だが同時に、彼女以上のトキメキを感じた男性もまたいない。
自分のセクシュアリティを超越する恋というものは確かにあって、僕のそれは決して始まることもないまま終わってしまったが、「泣いてもいいんだよ」という言葉は今後もことあるごとに胸を揺さぶっていくだろう。彼女がいない人生を、そして恋に選ばれなかった現実を、彼女が与えてくれた強さで今日も乗り越えていく。
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