どうして神様は男の人だったんだろう

アリアナ・グランデが“神は女性”と歌う曲「God is a woman」について。
いつも「天のお父様」と唱えていたキリスト系の幼稚園での記憶を振り返り、宗教の教義に偏見を感じた話を書いてみた。なぜ僕たちは神様が男性(往々にして白人男性)だと何の理由もないまま信じていたのだろう。
富岡すばる 2022.09.04
誰でも

アリアナ・グランデが2018年に出した「God is a woman」という曲が好きで、この数年間しょっちゅう聴いている。タイトルの通り“神は女性”と歌う曲なのだが、この歌詞を初めて読んだ際、目から鱗が出てきた気分になった。どうして今の今まで神様は男性だと無条件に信じていたのだろう、と。

様々な宗教関連のニュースが飛び交う近頃、それらの教義に男尊女卑や差別的な偏見を感じることも少なくなく、そんなときはいつもこの曲の存在が頭に思い浮かぶ。自分がキリスト系の幼稚園に通っていた頃の記憶も振り返り、「God is a woman」という言葉の意味について考えてみたい。

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「天のお父様」という祈りの言葉

僕はクリスチャンではなく、僕の親も同様なのだが、幼少期はキリスト教の教えを主軸とする幼稚園に通っていた。たまたま場所が家から近く、教会が併設されているということもあって敷地は幼稚園と思えないほど広く、緑も溢れていて、確かに子どもを通わせたくなる穏やかな雰囲気に包まれていた。

卒園式でもらった聖書は小学校に入学する前の子どもにとってあまりに読むのが難しく、きちんと目を通したのはずっと後になってからだったが、今でも部屋の奥にきちんとしまってあるし、幼稚園を出てからもクリスマスのイベントなどで教会に足を運んだことは何回もある。僕にとってキリスト教は人生の教えや生活の一部と呼べるほどのものではなかったが、常に近からず遠からずの距離に存在していた。だから別にキリスト教そのものを批判したいというわけではないのだが、ふと大人になってから思い出し、小さな疑問を抱くようになった出来事がある。

幼稚園では昼にお弁当を食べる際、先生と一緒にお祈りをしていたのだが、その際に唱える言葉がいつも「天のお父様」から始まっていた。天のお父様、それはつまり神様のことであり、まずは彼に対する感謝の念を口にしてからご飯を食べるというのが決まりだった。その際に唱えていた他の言葉は今ではもうはっきりと思い出せないが、「天のお母様」という言葉が出てこなかったことは明確に覚えている。

要するに、神様は男性だという前提があったのだ。そして僕もそれを何の疑いもなく受け取り、なんとなくそういうものなのだとずっと思っていた。

「God is a woman」は女性の神格化ではない

こういった経緯があるので、2018年にアリアナ・グランデの「God is a woman」を初めて聴いた際は、それこそカルチャーショックすら覚えた。“神は女性”という文字面のすごさといったら。

ちなみにこの曲は、女性が自身と愛し合っている男性に向かって“あなたは女性が神だと信じるでしょう”と語りかける内容なのだが、神を女性だとする根拠や理由には一切その歌詞内で触れていない。どうして神は女性なのかがどこにも書かれていないのだ。そう、僕が幼稚園で何の根拠も理由もなく神は男性だと言われていたのと同じように。

それでも昔は、どうして神様は男性なんだろうなどと思わなかったし、今だってそんな風に思わない人の方が圧倒的に多いだろう。Googleで「God」と検索すれば出てくるのは白人男性らしき姿ばかりだが、それが普通のことになっている。そこに理由の説明など求められない。

あくまでこれは勝手な推測に過ぎないが、アリアナ・グランデもそうした背景を少なからず意識していたのではないだろうか。男性だったら説明しなくても済むことならば、女性だってわざわざ説明する必要はないだろう、と。

つまり、「God is a woman」と語ることは決して女性の神格化ではない。むしろ今まで神として語られることのなかった立場にある女性が、こうして神の名を掲げることで尊厳を取り戻そうとしているのだ。

2018年のMTVビデオ・ミュージック・アワーズで彼女がこの曲をパフォーマンスした際、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」を模したステージにてダンサーたちと並んでいるのだが、「最後の晩餐」における中央のイエス・キリストがいるポジションには黒人女性が配置され、他にも様々な人種の女性が出てくる。これらが、神の姿が白人男性として描かれやすい風潮へのアンチテーゼであることは明白だろう。

2018年のMTVビデオ・ミュージック・アワーズより

2018年のMTVビデオ・ミュージック・アワーズより

平等を求める声は「攻撃」と思われやすい

しかし、ここまで語ったときに、きっとこう感じる人も現れるのではないか。「女性の権利を訴えるせいで逆に男性を否定していないか」と。

あらゆる人権・差別問題において、そうした場面をよく見かける。性別、人種、国籍、障害、病気、セクシュアリティ、ジェンダーアイデンティティ等、それぞれにおけるマイノリティがマジョリティと同じだけの権利や選択肢を求めると、マジョリティ側が攻撃もしくは権利の奪取をされたと感じる現象だ。

「God is a woman」に関して言えば、アリアナ・グランデは“神は女性”だと歌う一方で、神が男性だということも決して否定はしていない。神は男性ではない・神は女性だけだと歌っているわけではなく、ただ“あなたは女性が神だと信じるでしょう”と歌っているだけなのだ。神が男性だとして扱われてきたなら、女性だって同じように扱っていいはずだと言うかのように。そこにあるのはマジョリティへの攻撃などではなく、マジョリティと同じ権利を求める声に他ならない。

また、Goddess(女神)という女性の神を表す言葉もあるが、その言葉を使うと結局は「神(God)は男性」という概念を強化してしまう。神の女性バージョンであるGoddessではなく、神そのものを指すGodという言葉を彼女が使い、女性について語ったことに意味があると思っている。

ちなみに、かつてレディー・ガガは音楽アワーズで受賞した際、「誰に感謝するか」と訊かれて「神とゲイ」と答えたことがあった。彼女は他のイベントでも、「何からインスピレーションを得ているか」と訊かれた際に同様の返答をしている。神という存在について語るときに触れられることがあまりなく、どちらかというと神の名のもとに差別されやすい存在を神と同じセンテンスで語り、同じ目線で見てくれたことに感銘を受けたのだが、この発言も「God is a woman」と相通ずるものがあるように感じる。

差別構造を内包する宗教への疑問

宗教の存在を否定するつもりはないし、何かを信じることで救いを見いだすということ自体は多かれ少なかれ誰の人生にも起こり得る。現に僕もそれをアーティストや身近な人に見いだしてきた。

しかし宗教という文脈で、本来は人の存在を越えた大いなるものへの信仰であるはずなのに、そこに人間社会の縮図が垣間見えることが多々ある。それは家父長制だったり、女性蔑視だったり、性的少数者への差別だったり。

パワーを持った者がパワーを持たない者を支配するために宗教を利用するのなら、それはもはや信仰の自由に関する話ではなく、支配される側の人権に関する話だと思う。パワーを持ち、より多くの選択肢を手にしやすい人だけが救われる教義なんてクソくらえだ。

そういった支配のツールを「宗教」と呼ぶのであれば、僕は救われなくて結構だし、自分を殺すことで居られる天国より自分が生きていられる地獄を選ぶ。「God is a woman」はそんな僕にとって、マジョリティが神や正義なんかではないということを教えてくれるとても大事な歌なのである。

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