ゲイアプリで知り合った人の家に行ったら聖子ちゃん祭になった件
色気とか抜きにして、男同士(30代ゲイ)でお互いの好きを語り合うって楽しいね……という話。
今、人生で何度目かのマイ松田聖子ブームが到来している。
80年代中盤に生まれた僕は、彼女が隆盛を極めた時代をリアルタイムでは知らない。だが、常に気になる存在ではあった。00年代、19歳でゲイバーデビューを果たしたときも、松田聖子好きのゲイが多いことに驚きつつ、彼女の存在が周囲のゲイの共通言語のようになっていることに納得している自分もいた。そのくらい松田聖子というのは、僕の中にあるゲイとしての部分を刺激する人だったのだ。それこそ、自分のセクシャリティに気づくよりもずっと前から。
そして最近また、そんな聖子ちゃんへの想いを燃え上がらせる出来事があった。
『青い珊瑚礁~Blue Lagoon~』PVのワンシーン(2021年)
ゲイアプリでの出会い
僕は普段、ゲイ・バイ男性向けマッチングアプリをよく活用している。先日も割と近くに住んでいる同年代の方とマッチングしたので、早速会ってみることにした。
当日、待ち合わせ場所にいた彼は明るく話しやすそうな人で、ひとまず胸を撫で下ろした。そのまま僕たちは早い時間に呑める居酒屋に入り、昼間から生ビールを片手に、お互いの話を語り合うことに。趣味、仕事の環境、家族とのつながり、そして日常でカミングアウトしているか等。プライベートをあれこれ探りたいわけではないけれど、同じ30代のゲイとして、元気に楽しく生きられているかどうかをそれとなく確認したいという気持ちはちょっとある。
そうしてお互いの近況報告やら、何気ない音楽トークなんかをしているうちに出てきたのが、やはり松田聖子の話題だった。普段よく聴く曲の話になったとき、彼が聖子ちゃんの『赤いスイートピー』を挙げ、それに対して僕が『続・赤いスイートピー』という赤スイの続編ソングが好きだと返したら、そこからなぜか話が大盛り上がり。恐るべし、松田聖子のゲイ引力(言っておくが我々は赤スイ発売時にはまだ生まれてもいない世代である)。
ちなみに、僕が松田聖子という存在を初めてはっきりと認識したのは90年代に入ってからのことだが、そのときの彼女はすでにアイドルというより、女王とでもいうべき立ち位置にいた。当時、テレビで耳にした「スキャンダルの女王」という彼女を形容する言葉には嘲笑が入り交じっていたと思うが、小学生だった僕には魅惑的に聞こえた。
どれだけゴシップを流されようと、その生き方を笑われようと、ご本人は知らん顔でもするかのように可憐なアイドル路線を突き進んでいる姿が正しく王者そのものに見えたし、子どもながらにどうしようもなく憧れたのだ。他人にどう思われても、たとえ傷ついても、自分であることをやめない彼女のアティチュードからは、僕自身、ゲイとして生きていく上で何度も力をもらったように思う。
シングル『赤いスイートピー』(1982年)
自宅へのお誘い
と、そんなこんなで話が盛り上がるにつれて酔いもまわり、そろそろ別のお店に移動しようかという話になったとき、彼から提案を受けた。「うちに来ませんか」と。
たまたま近くに彼の住むアパートがあり、お店で呑むより家の方がくつろげていいのではないかという何気ない提案だった。正直、給料日前だったし、お店をハシゴしまくって外で呑み続けるより、家にお邪魔して乾杯した方がお得かもと瞬時に計算をし、即OKした。
とは言いつつ、これってエッチな目的も含んでいるのだろうか……という、かすかな緊張感もあった。
僕の場合、マッチングアプリを使っているといっても、彼氏や性愛の絡む相手を探すことだけが目的の全てではない。そういう相手もいたら素敵だなぁとは思うが、同じゲイの友達もいた方が心強い。
女性の友達や、異性愛者である男性の友達だと話が合わないというわけでは決してないが、同性を愛する男性同士だからこそ分かり合える部分もやはりある。そして、年齢を重ねるごとに、ゲイコミュニティにつながっていたいという気持ちが強くなってきている。もしかすると、大きな意味での「家族」を欲しているのかもしれない。
だから、相手とどういう関係になるかをつかみきれていない段階で性愛という領域に踏み込むのは、ちょっと怖かったりする。
そうして胸の奥をかすかにざわつかせながら彼の家に行ったわけなのだが、着いてからは早々にYouTubeをテレビにつなぎ、買ってきたおつまみとお酒を片手にし、『続・赤いスイートピー』のライブパフォーマンス動画を観る流れになった。まぁ聖子ちゃんトークで盛り上がってからの宅飲みという経緯だったので、ここまでは想定内である。
アルバム『Citron』(1988年)
聖子ちゃん祭の幕開け
1988年にアルバム『Citron』の収録曲として発表された『続・赤いスイートピー』は、1982年に発表されて松田聖子の代表作となった『赤いスイートピー』の後日談を歌った曲だ。『赤いスイートピー』では“あなたについてゆきたい”と言っていたヒロインが、『続・赤いスイートピー』の歌詞では、もう誰かについていくような少女ではなくなったのだということが示唆されている。あどけない少女が大人びた女性になり、初々しかった恋の終焉と向き合う詞世界は、アイドルから歌謡界の女王へと変貌を遂げていた松田聖子本人の面影とも重なる。
……といったことを、動画を観ながら語っていた僕は、ゲイゲイしさと歌姫オタクっぷりが最強に炸裂していただろう。ただありがたいことに、隣にいた彼も聖子ちゃん愛をどんどん高めていっていたようで、それから二人してYouTubeでさまざまなライブ映像を観まくった。そして、やがてたどり着いたのが、2002/2003年のカウントダウンライブの動画だ。このあたりになるともうお互いに「やだっ」「かわいいぃー」「聖子ちゃん!」などという小さな叫び声を出し合うまでになっていて、マッチングアプリでつながった相手と会うときに着込む“イイ男”の鎧を、双方とも完全に脱ぎ捨てていた。
同性のアーティストだと自分とつい比較してしまったり、叶わぬトキメキを抱いてしまったりすることも正直あるのだが、女性アーティストだと純度100%の憧れだけを抱ける。また、30代中盤になり、若さというものを失い始めつつある僕たちにとって、幾多の苦難に直面しようとも歌うことをやめず、何十歳になっても永遠のアイドルであり続ける松田聖子の姿はとりわけ眩しく見えた。
アルバム『永遠の少女』(1999年)
かつて僕たちは少年だった
自分が若者ではなくなったという事実をなんとか受け止めているつもりでも、この社会で中年男性として、そして中年のゲイとして生きていくであろう自分の姿はなかなか想像ができずにいる。そんな中、聖子ちゃんを観ていると、なんだかすっかり少年になってしまうのだ。うちらもまだまだこれからだよね、なんて言い合ったりして。そもそも60代になる彼女がまだキラキラしたアイドルなのだから、30代の我々なんか実質ティーンエイジャーみたいなものなのでは、という超ゴーイングマイウェイな言葉すら口から出てくる。
結果的に僕たちは性愛でつながる関係にはならなかったのだけれど、好きなものを語り合い、シェアをして、その喜びを分かち合える関係はなんて素敵なんだろうと改めて思った。僕の場合は同性の友達が少ないので、男性でなおかつゲイという、自分自身と共通点や分かり合えるものが多い人とそういう関係になれたことに嬉しさと安堵を感じている。こういう同志がいたら歳を重ねることもきっと怖くないな、と。
僕がかつて少年だった頃は、生きることへの希望より不安の方が圧倒的に大きかった。大人になってからも不安が大きな顔をして表に出てくることなんてしょっちゅうで、若さは確実に手から離れていっているのに、ちっとも大人になった気分なんてしていない。それでも僕の心の中に今いる少年は、この瞬間、確かに前を向いて生きている。
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“両手を肩にそっとまわし
私の中の少女抱くのよ
手を当てて胸の鼓動を確かめてみる
生きてるのね こんなか弱い命で”
『月のしずく』(1999年 アルバム『永遠の少女』収録曲)
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