わざと怪我をして会社を休もうと思った日

モラハラ上司に耐えられなくなり、出勤途中に駅でわざと怪我をして会社を休もうと真剣に考えた数年前のある日。
逃げ場はあったはずなのに、なぜ僕は自分自身を責めて、傷付ける方へと進んでしまったのか。
これは自尊心の喪失と再生にまつわる話。
富岡すばる
2021.09.26
誰でも

僕は自尊心が欠けた状態で長いこと生きてきた。自分はゲイかもしれないと気付き始めた子ども時代から、周囲やメディアが悪気なく語る「ホモは気持ち悪い」といった言説をそのまま内面化してしまったのだ。さらに、家庭を省みずに姿を消した無責任な父親に自分の顔が似ていたことなども、自分から自尊心を奪う理由のひとつになった。

繰り返した整形と風俗店での勤務経験

同性を好きになることへの抵抗感や、自分の顔への嫌悪感。そういったものが10代の僕に与えた影響は大きく、中学生の頃からすでに整形をしたいと思っていたし、大学生になりファッションに気を遣うようなってからも「自分のような不細工がこんな服を着てすみません」という気持ちで常にいっぱいだった。

20代に入り、ネットの掲示板を使ってゲイの人と知り合うようになってからも、「自分のような人間は相手を選ぶ立場ではない」と強く思い込んでいたので、相手の言いなりになるまま不本意な性行為に及ぶこともしばしば。やがて20代前半で整形をしてからは自信もつき、随分と生きやすくなったが、それでも内面がそう簡単に全て変わるわけもなかった。

それからしばらくして、僕は売り専(男性キャストが男性に性的サービスを行う風俗店)で働くようになる。その主な理由は金銭的に困窮していたという事情に基づくものではありつつも、自分の価値を具体的な値段で知りたいといういびつな欲求が少なからず働いていたのも事実だ。

数度に渡る整形や風俗勤務の経験などを経て、徐々に自分の心と折り合いがつくようになっていったが、思ったことを相手に対してはっきり言えないという性分は30代の今も完全には払拭できずにいる。自分が客として行った飲食店などで何か疑問を抱く場面に遭遇しても、「自分なんかがクレームを言うのも悪いな」などと思ったり、逆に場の空気を壊さないようにと店員に対して愛想笑いをしてしまったりと、どうにもこうにも気の弱い奴のままなのだ。

そんなところが外見にも現れているのか、街中を歩いている際にはデート商法やマルチ商法、宗教勧誘、または寄付金詐欺など、あらゆるいかがわしいキャッチから声をかけられてきた。タクシーに乗って行き先を告げても、運転手から全く返事をされないことなんかもよくある。

モラハラ上司に追い詰められた日々

そんな人間なので、職場で当たりの強い上司に出会ってしまった場合などは毎日が地獄である。数年前に勤めていた会社では上司が非常にモラハラ気質のある人だったため、いつもピリピリした空気の中で仕事をしていた。

例えば、昼休憩になるとお金を渡され、ご飯を買ってくるように言われる。ただ具体的にどういうものが食べたいかは一切口にせず、それはお前が考えて選べと言ってくるのだ。だから、上司が食べたいと思っているものを推測して買うしかないのだが、買っていったものが好みでなかった場合は当然ながらグチグチと小言を言われる羽目になる。

今なら受け取ったお金を全額使ってチロルチョコでも箱買いしてやろうかと思ったりもするのだが、当時は「相手が欲しているものを考えて選ぶことも仕事のひとつ」といった上司の言葉をそのまま受け止めてしまい、むしろ相手の期待に添えない自分自身を責めていた。それ以外にも親戚が亡くなり仕事を休まざるを得なくなった際、葬儀に行くので証明書みたいなものがもし必要なら言って下さいとまで事前に伝えておいたのに、後日出勤して葬儀の話をちらっとしたら「親戚が亡くなったのは嘘じゃなかったんだね」と鼻で笑われたこともある。

こうした腹立たしいエピソードは他にもまだまだあるのだが、ここまでされても不思議なことに当時は全く怒りという感情が湧いてこず、それどころか自分の至らなさがそうさせてるのだという自責の念にかられていた。

ちなみに、その会社に入る直前までアルバイトとして働いていた職場にはまだ籍を残していたため、モラハラ上司の元をすぐに去って前の職場に戻ることも充分可能だった。そうした逃げ場がきちんとあり、生活面で追い詰められていたわけでもないのに現状に耐えなくてはいけないと思ってしまったのは、元来の自尊心のなさが大きく影響していたのだろう。

やがて、精神的に追い詰められていく中で、あるとんでもない考えが浮かぶようになる。

「駅の階段でわざと転んで怪我をしたら、会社に行かなくて済むのではないか」

朝、出勤途中の電車の中で、気が付けばそんなことを考える機会が増えていった。最初はもちろん本気で実行しようなどとはこれっぽっちも思っていなかったのだが、次第にその考えは本気度を強めていき、とうとう「今日あたり一度転んでみようか」と思い立つ日がやってきてしまった。

会社の最寄り駅にはホームから改札へ向かう途中に長い階段があり、そこで軽く転べばちょっとした怪我ができそうだと考えたのだ。それは間違いなく一種の自殺行為のようなものだったし、完全にモラハラ上司に洗脳されている状態だった。わざわざそんな手を使って自分を痛めつけるくらいなら会社を辞める方が断然手っ取り早いのに、その選択肢にどうしても考えが及ばないのだ。

お金で手に入れた“物理的な自尊心”

しかし結果として、僕は階段で転ぶという道を選ばなかった。そして、その後すぐに会社を辞めた。

決して階段を転ぶのが怖くなったからではない。むしろそんな恐怖心すら感じない精神状態だったし、相変わらず自分が悪いんだという気持ちは残ったままだったのだが、ひとつだけ絶対にゆずれないものがあった。

それは整形で手に入れた顔である。「今、階段から落ちて、もし顔を傷つけたらどうするんだ」と思ったのだ。

上司から小言を言われたり嘲笑されたりするのは許せても、25万円近くかけて整えた鼻が崩れたり、100万円以上かけて削った顎のラインにヒビが入ったりするのだけはどうしても許せなかった。痛い思いや辛い思いをして手に入れたこの顔に、1ミリでも傷などつけたくなかった。なぜならこの顔は、自分が生まれて初めて勝ち取った自信の源だからだ。

きっと僕は自尊心をお金で買ったのだと思う。

自分を愛するとか自分を肯定するというのは、そういう概念をしっかり培える環境で育たないと、大人になってから急に綺麗事だけ言われても簡単には真似できない。だから自分の内面にそうしたものを見出だすというよりも、外的要因によって自分を全否定し得ないようにすることで、僕は今日までなんとか生き長らえている。

「怪我をしたら会社を休めるかもしれないけど、顔に傷がつくのは許せない」

「せっかく大金をかけて顔を作ったのに、不本意なセックスをしていても元が取れない」

「イライラすると眉間にシワが寄るから、興味ない人や場所に近寄りたくない」

きっかけはどれもネガティブなものばかりだが、整形前に自尊心のなさでつまずいていた諸問題をこれによって結果的に避けてこれた。時間はかかったが、今はポジティブな方にそれらを活かそうと思えるようになっている。決して気安く誰かに整形手術を勧めるつもりなどないが、どうしても自尊心を持てないが故に生きづらさを感じている場合、時間やお金、もしくは根気や労力などといったリソースをかけた“物理的な自尊心”をどこかに持ってみるのもいいのではないか。

たとえ自分のことを無価値な存在だと思っていても、時に“物理的な自尊心”が自分自身を前へ前へと引っ張っていってくれることはきっとあるから。

サムネイル写真提供:plastic.wings

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