ゲイの僕がBLに救われた話

同性を愛する男性が幸せそうにしている場面を見たのは、BL漫画を読んだ時が初めてだった。ゲイである僕がかつてそれにどれだけ救われたか。
ゲイ蔑視や女性蔑視をサバイブする者にとっての“セーフティゾーン”BL論。
富岡すばる 2021.07.06
誰でも

今30代のゲイである僕にとって、自分自身と同じく同性を愛する男性が幸せそうにしている場面を見たのは、BL漫画を読んだ時が初めてだった。それは僕がまだ高校生だった2003年頃のことで、その時に読んだ作品名は今でもはっきりと覚えている。

“Boys Life(こうじま奈月作)”というタイトルを持つその漫画は二人の少年の恋模様を描いたもので、今思えばBLの王道的ストーリーといった作品だった。ただ当時の僕にとって、それはかなり衝撃的なものに映った。だって何の悲愴感も何のどんでん返しもないまま、ただ男性同士が幸せそうに恋をしている場面なんて、それまでの人生でただの一度も見たことがなかったから。

同性愛者=日陰でひっそりと生きていく存在だ、と思い込んでいた自分自身の心に、BLはほんのりと光を射し込んでくれた。

「僕のような存在でもハッピーエンドになれる」

2003年以前にも、1992年にテレビ放映されていたアニメ“セーラームーン”の登場キャラクターであるゾイサイトとクンツァイトの恋模様や、2001年に日本で公開されたイギリス映画“同級生”に出てくる主人公カップルのような、男性と男性の恋愛を描いた作品は何度か目にしていた。どの作品も好きだし、感動もたくさんもらったけれど、最後に待っているものは大抵いつも破局か死別といった結末ばかり。

当時観たものがたまたまそうだっただけかもしれないが、同性を愛する男性が出てくるエンタメ作品で、「僕のような存在でもハッピーエンドになれる」と感じさせてくれるようなものはあまりなかったように思う。そういった理由もあり、僕は自分が同性愛者として幸せな人生を歩んでいくことなど想像すらできずにいた。でも、それをほんの少し変えるきっかけとなったのが、BLだったのだ。

ただ、BLがあくまで女性向けのジャンルであるということは承知していた。実際コミティアのようなイベントに足を運んでも、男性購買者が比較的多いGLのブースでは女性作家さんが気さくに話しかけてくれることもあったのに対し、BLのブースでは女性作家さんがそうしたラフな感じで接してくることは滅多になかった。と書くと誤解を招きそうだが、別に決して作家さんからフレンドリーに話しかけられたかったわけではない。BLを好む女性が男性から叩かれやすいという話も後になって聞き、BLブースの女性作家さんたちが男性参加者に対し警戒心を抱いて距離を取るのは仕方ないことなのだと理解はしたが、僕も僕で怖かった。

ウェブ上で「BLはいいけどリアルなゲイは無理」といったコメントを見たことは何度もあったし、BL作品が取り扱われる場において自分のような「リアルなゲイ」は招かれざる客なのではないか、という思いが常に心の中にあったからである。

BL=女性が性的に消費されない物語?

なので僕は、自分と同じようなBLが好きな人と交流を持つわけでもなく、一人きりで漫画やライトノベルを楽しむのが好きだった。そんな中でたまたまTwitterを始め、しばらくしてからある女性アカウントのツイートと出会うことに。

「BLは、初めて女性が性的に消費されていないと思えた物語だった」

一言一句までは覚えていないが、それは確かそんな内容だった。僕にとっては初めて自分と同じ男性同性愛者が幸せになるのを見た物語がBLで、彼女にとっては初めて女性が性的に消費されないと思えた物語がBLだった、というのが非常に興味深く思えたのだ。と同時に、ゲイ蔑視と女性蔑視が常に近いところにあることも改めて実感した。

例えば昔、職場の男性同僚が「女オタクはホモのセックスを見て喜ぶ。気持ち悪い」と笑いながら話しているのを聞いたことがある。女性の趣味や欲求を嘲笑する際(それも男性なら嘲笑されないであろう内容に)、ゲイの存在を引き合いに出すというのが醜悪だなと思ったが、こういったゲイ蔑視と女性蔑視が合わさった罵詈雑言というのは決して珍しいものではない。ここまで露骨ではなくとも、BLについて語る場で、この蔑視のダブルパンチが繰り出されるパターンはよくある。そして、コミティアにおけるBLブースとGLブースの空気感の違いも、そんなダブルパンチがもたらした結果の一つなのではないかと思うのだ。

セーフティゾーンとしてのBL

ただ、ゲイ男性にも女性蔑視をする人は当然いる。僕だって例外ではない。女性蔑視的な固定観念に囚われている部分は未だにきっとあるはず。

逆もしかりで、ゲイ蔑視をする女性だっている。僕個人の体験談だけで言わせてもらうと、全く仲も良くないのにセックスのポジションについていきなり聞いてくるのは女性の方が多かったし、先述した「BLはいいけどリアルゲイは無理」という発言にしても、都合よくゲイという存在が消費されているなと感じた。

さらに言うと、ゲイ蔑視を内包したゲイもいれば、女性蔑視を内包した女性もいる。男性の異性愛者が基準とされるこの社会において、むしろホモフォビアともミソジニーとも全くの無縁でいられる人間の方が珍しい。そこで生きづらさを感じた者が日々をサバイブするためにたどり着く先の一つが、例えばBLだったりするのではないだろうか。やはり、BLには人を救う力があるのだ。

この意見を大袈裟だと思う方もきっと多々いらっしゃるだろうし、シンプルにエンターテイメントとしてBLを楽しみたいという気持ちは僕自身も持っている。しかし、BLに救われた身として、そのことは声を大にして言い続けたい。

ちなみに今後、もし同性同士でも普通に結婚ができるような社会になったら、そして女性が一方的に性的消費されることのない社会が実現したら、BLの概念や存在意義は変わっていく可能性もあるかもしれない。それでも、まだこの国に根強く残るゲイ蔑視や女性蔑視に直面している者にとって、BLはセーフティゾーンであり続けるだろう。

そして、いつかBLがそうしたセーフティゾーンとしての役目を終える時が来るのだとしたら、それは数々のBL作品の中で描かれてきた理想郷がファンタジーではなく、リアルなものになった証だったりするのかもしれない。そうなった時にBLというジャンルがどのように変容していくのかが楽しみだし、仮にこの先どれだけ変わっていったとしても、暗闇を生きていた10代の頃の僕にBLが見せてくれた光は、心の奥深くでこれからも明かりを灯し続けるだろう。

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