「台所に立った女神様」と「白馬に乗った王子様」

妻や恋人に「聖女と家政婦を足して二で割ったような女性像」を求める男性を今まで結構見てきた。そうした異性に向けられる幻想の正体は何なのか。
「台所に立った女神様」と「白馬に乗った王子様」について、僕自身が同性愛者向け恋愛紹介所で直面した事実も交えて書いてみた。
富岡すばる 2021.10.04
誰でも

先日、とある人のツイートが大きな批判を集めていた。それは「別れたくない妻」になる9カ条と題し、夫にとっての理想的な妻の条件を紹介するものだったのだが、問題は内容にあった。その9カ条とはどういうものだったのか、引用してここに載せたいと思う。

1. 尊敬してくれる

2. ポジティブ

3. 教わり上手

4. 悪口・文句・愚痴を言わない

5. 1人の時間をくれる

6. 女を失わない

7. 自立している

8. 家事スキルが高い

9. 子どもと本気で向き合う

──ざっとこんな感じだ。これを見て真っ先に抱いたのは、ファンタジーみたいだな、という感想だった。

そもそも「尊敬してくれる」と「教わり上手」というのは、自分自身が「尊敬される人」で、なおかつ「教え上手」でなければ成立しない事項である。自分自身の人間性は不問のままでそれらを他者に求めること自体が、すでに幻想の領域に足を踏み入れているように思えて仕方ないのだ。

他の項目に関しては、ご自身も同じように全て実現すること前提であれば他人にも自分にも厳しい有言実行タイプの人なのだろう、くらいにしか思わない。ただし、「女を失わない」という項目に関しては、筋トレや外見磨きをして「男らしさを維持する」という意味に置き換えればの話だが。

しかし、もしそういう有言実行な人であったなら、果たして相手に求める条件として「尊敬してくれる」や「教わり上手」といった項目を挙げるだろうか。

王子様幻想と女神様幻想

このツイートをした人への批判をこれ以上ここでするつもりはない。しかしながら、自分不在のファンタジーを女性に求める男性を、僕は個人的に今まで幾度となく見てきた。その幻想そのものについては色々と思うところがある。

まず、女性は「白馬に乗った王子様」を待っているといった言説をよく目にする。実際そういう女性もいるだろうし、そこまで大袈裟でなくとも、恋愛対象に自身の救済を求める人はちらほらいた。では男性はどうなのだろうかと考えると、やはりそうした幻想を抱いている人は一定数いる。

しかし、「白馬に乗った王子様」に呼応する言葉が見当たらない。だから僕はそれを「台所に立った女神様」と呼んでいる。

この女神様幻想を持った男性を多々見てきたのだが、いずれのパターンでも共通していたのは、「聖女と家政婦を足して二で割ったような女性像」を求めているということ。場合によってはそこに「娼婦」の要素が加わることもあるが、それらは総じて「自分を全肯定してくれる存在」と言い換えることができる。

恋愛を通し、他者の存在によって自己実現を望むという意味では王子様幻想も女神様幻想も似通っているが、前者は現状打破を求めている傾向が強いのに対し、後者は現状維持を求めている傾向が強いように思う。そして社会構造上、王子様幻想を抱く女性は加齢とともに現実と向き合わざるを得なくなるだろうが、女神様幻想を抱く男性は必ずしもそうはならない。男性が「台所に立った女神様」を求め続けることに対しては、割と肯定的な風潮があるからだ。

「おじさん構文」にも見られる狂信的ポジティビティ

歳を重ねても覚めない夢を見続け、それどころか自分が無条件に選ぶ側だという強固な意思に囚われていく人たちが、まるでテンプレートでもあるのかと言いたくなるくらい幾人もいた。記事冒頭で例に挙げた方がそうだと断言するつもりはないが、少なくとも僕が見てきた男性には、こうしたタイプの人が非常に多かった。それはいわゆる「おじさん構文」などと呼ばれるようなハラスメント行為の構造とも共通しており、彼らは何をしようとしまいと自分は女性を選ぶ立場にあると考え、その価値観を当然のごとく相手にも強いるきらいがある。

その根拠なき狂信的ポジティビティは個人的というよりも、むしろ社会的なレベルで育まれたものなのではないだろうか。そう思うほど、テンプレート化しているからだ。異性愛者の男性を中心に作られ、その存在がデフォルトとなり得る社会で生きてきた彼らが、こうした価値観を内包化してしまうのも理屈としては頷ける。

ゲイである僕自身の理想とエゴ

ちなみに僕は数年前まで、ゲイ・バイ男性向けの恋人紹介所に登録していた。毎月紹介される男性に事務所で会い、意気投合すれば連絡先を交換したり、食事に行ったりする。当然ながら男性に求める条件等は事前に確認されるのだが、そこで僕は当時「自分ができていることは相手にもできていてほしい」と答えた。

ものすごく手間隙をかけているわけではないにせよ、最低限のスキンケアはきちんとやっているつもりなので、同じように肌や身なりには気を遣っている人がいいこと。そして、噛み合わせを整えるために歯列矯正をしたということもあって、歯並びもどちらかというと整っている人の方が好きということ。傲慢かもしれないが、興味を持てない人ばかり紹介されても意味がないので、そこら辺の話を紹介所の人には正直に伝えた。

そうしたら、同じようなことを希望する人は僕以外にも結構いると言われたのだ。人によっては収入だったり、ボディメイキングだったり、はたまた学歴だったりするが、自分ができていることは相手にも求めるという人は少なくないらしい。こういう書き方をするとゲイ・バイ男性への偏見を生みかねないが、誤解を承知で言わせてもらうと、自分と同等のものを相手にも求めるのは同性同士ならではだなとその時に感じた。

自分が持ち合わせていないものを相手に求める幻想と、自分の中にあるものを相手にも求める理想。そのどちらもエゴであることには変わらないが、その上で、僕が恋愛相手に対して過剰な幻想を抱かないで済んでいる理由は、自分自身と恋愛対象が同性だからという側面がとても大きいように思う。

結局、僕は相手を見つけられないまま紹介所を退会した。今も恋人はいないままだ。

もしかしたら理想が高いのかもしれないし、エゴを捨てれば新しい出会いもあるかもしれない。でもそれによって恋人ができないのであれば、それはそれで構わないと思っている。

恋人に求める理想は依然としてあるが、そもそも恋人そのものをあまり求めなくなった。恋愛をしたら完璧な存在になれると思っていたことも、恋愛によって救われると考えていたことも、恋愛が最大の自己実現だと信じていたことも、全ては幻想なのではないかと感じ始めてから、自分を救ってくれる人は自分しかいないなという結論に達したからだ。

確かにそこには孤独がつきまとうかもしれない。しかし、他人の存在に寄りかからなくても自分自身という存在は成立させられる。それに気付いてからは、孤独の隣にいつも自由が寄り添ってくれている。

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