わざわざ「ゲイです」と言わなくていい社会とは

カミングアウトをする必要の無い社会の実現とは、『最近は何を言ってもセクハラ扱いされるから何も会話ができない』と嘆く人間の撲滅とほぼ同義なのではないか、と感じる今日この頃。
カミングアウトをしたいというよりもセクハラをしないで欲しい、という思いについて。
富岡すばる
2021.06.08
誰でも

先月、人生初めてのラジオ出演を果たした。FRaUで僕が連載している記事をバービーさんが読んでくださっていて、それがきっかけで彼女がパーソナリティをつとめるTBSのラジオ番組に呼ばれたという経緯だ。

そこでは、僕が今まで書いてきた女性歌手とフェミニズムに関する話題の他にも、僕自身がゲイとして感じてきた生きづらさなども少しお話をさせていただいた。その中で、カミングアウトについて訊かれる機会があった。

ちなみにカミングアウトというのは、クローゼット(外の世界と切り離された自分だけの空間)から出てくる(come out)という言葉に由来する。それを念頭に置き、以下のような話をした。

「カミングアウトとはかならず性的指向を宣言することがカミングアウトではないと思っていて、つまり、隠しはしないけれど自分から言わないっていうのもひとつのカミングアウトだと思っています。極論言うと、自分の心が一番安らかでいられるときが一番いいと思うんですね」

──バービーの「カミングアウトってしないとダメ?」の問いに対するゲイの僕の答え より引用

伝えたいことはこの発言にぎっしり詰めたつもりだが、カミングアウトをするということについて、改めてもっと分かりやすく説明してみようと思う。まず、僕にとって「ゲイであるとわざわざカミングアウトをする必要の無い社会の実現」とは、「『最近は何を言ってもセクハラ扱いされるから何も会話ができない』と嘆く人間の撲滅」とほぼ同義である。

それは一体どういうことなのか、実体験を元に話をしていきたい。

プライベートに踏み込まれたくない四人

これは今から数年前の出来事。当時勤めていた会社で社員旅行があり、そこで班分けをすることになった。僕が入ることになった班は僕以外に女性が三人いた。

その内訳は以下の通り。

Aさん(異性愛者、夜のお仕事経験者)

Bさん(同性愛者)

Cさん(同性愛者)

僕(同性愛者、夜のお仕事経験者)

ちなみにこれ、なんとなく空気感の合う人間が集まったらたまたま四人中三人が同性愛者だったというだけで、お互いに全ての素性を知った上で班を組んだわけではない。例えば、僕がかつて夜のお仕事の世界にいたことはAさんだけが知っていて、僕が同性愛者だということはBさんだけが知っている。どちらもある程度仲の良い人にしか話していない情報であり、逆にそこまで積極的に会話をしたことのなかったCさんには何も打ち明けていない。

なお、Aさんの職歴は本人から聞いて僕は知っていたが、それを他の人が知っているかは不明。そしてBさんが同性愛者だということに関しては本人から打ち明けられており、僕以外の人には言っていないということも聞かされていた。また、Cさんも同性愛者だということはたまたま僕が本人のSNSを見つけて知っただけで、他の人が知っているかは不明。

と、誰が誰に何をどこまで話しているかがはっきりしていない状態で、なおかつ僕自身も聞かれたくない話が多々ある中、当然ながら会話のトピック選びには慎重になる。場合はよっては非常にスリリングなやり取りになるのではないかと、ちょっとだけ心配していた。

しかし、実際はスリリングどころかとても居心地の良い時間を過ごせたのだ。何故なら、恋愛や結婚や過去など、そういったプライベートに踏み込むような話を誰も一切しなかったから。

恐らく、お互いに踏み込まれたくないことがいろいろあったからだとは思うが、じゃぁそれによって会話がうわべだけのつまらないものになったかというと、全くそんなことはない。むしろ旅行中の様々な体験を通していろいろなことを話せたし、四人の会話はすごく盛り上がった。

相手に対する最大限の尊重とは

それぞれのプライベートを明かさなかったとしても、お互いを思いやる気持ちがあれば有意義な会話はできるのだと、この時改めて実感した。そしてプライベートを明かさないというのは、決して意図的に「隠す」というだけではなく、ただ「話さない」という選択肢も含むのだ、と。

あの四人の班で行動していた時、僕は自分がゲイであることを一切話さなかったが、決してそれは隠そうとしていたからではない。ただ、話す必要がなかっただけなのだ。それは彼女たちが、それぞれのプライベートに踏み込むようなことをしなかったから。

相手の私的なゾーンに立ち入らないというのは、相手に対する最大限の尊重なのだと身をもって知った。逆にそうやってそれぞれを尊重し合える人たちだからこそ、もし必要だと感じた際には、自分がゲイであることを気軽に話せただろうとも思う。

だからあの時、僕は自分の性的指向を打ち明けずとも、気持ちは確かにクローゼットからカミングアウトしていたのだ。

カミングアウトとは単なる性的指向の開示ではない

よくカミングアウトをすると言うと、「僕はゲイです」と高らかに宣言することだと誤解されがち。だから、職場でカミングアウトせずにいることが息苦しく感じると言うと、なんでわざわざ職場で自分の性的指向を明かす必要があるんだという指摘をされることもある。

しかしゲイとしてこの社会で生きていると、自分のセクシャリティを正直に話すか、それとも嘘をつくかという選択肢を突き付けられる場面にしょっちゅう遭遇する。例えば、好きな異性のタイプや彼女の有無を訊かれたり、結婚に関する話を振られたり。はたまた、合コンに誘われたり、夜のお店に連れていかれそうになったり。

たまにならそういった場面に遭遇しても上手く話をかわすし、プライベートで繋がる必要のない人であれば小さな嘘をついてやり過ごすこともできる。でもそれが日常的になり、嘘に嘘を重ねて異性愛者の振りをし続けなければいけないとなると、とてもしんどい。

だからこそ、他者の私的なゾーンに踏み込むようなハラスメントが発生しない場だと心に鎧を着せなくて済むし、そうなれば意識してカミングアウトをする必要もなくなるのではないかと、僕は感じているのだ。

だから一見矛盾しているように思われるかもしれないが、この社会で気軽にカミングアウトができるようになることを今は願いつつも、いずれはわざわざカミングアウトをする必要のない社会が実現すればいいなと思っている。ただその為には、まずハラスメントのない社会であることが大前提だが、そこに必要なのは他者を尊重する意識に他ならない。

だからこそ、僕自身もまた『最近は何を言ってもセクハラ扱いされるから何も会話ができない』と嘆くような人間になっていないかを、繰り返し自問自答していきたいのだ。あの社員旅行で過ごした居心地の良いひとときを思い出す度、いつも強くそう思う。

サムネイル写真提供:plastic.wings

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