女性歌手からフェミニズムを教わったゲイの話
彼女たちの発言や歌詞を追っていくと、必ずフェミニズムにたどり着く。
「男らしさ」の呪いから解放してくれた女性歌手たちについて。
男性という自身のマジョリティ性をふまえた上で書いてみた。
僕は普段、フェミニズムに関する記事やツイートを発信することが多い。決して、あらゆる女性の人権問題を追えているわけではないが、それでも「女性にかばってもらいたいんだろう」とか「フェミが喜びそう」などと揶揄されることはある。
別にそんな目的で発信をしているわけではない。ただ、自分自身がゲイだということで悩んでいた時に力をくれたのは、いつも女性歌手だった。そして、彼女たちの発言や歌詞を追っていくと、必ずフェミニズムにたどり着くのだ。
中学生だった頃、同性である男性に惹かれていることに僕はすでに気づき始めていたが、その事実をまだ受け入れられずにいた。毎日が自問自答のエンドレスリピート状態である。
「男性が好きかも」、「いや女性も好きでいたい」、「自分は変なのかもしれない」、「いや変じゃない」、「他にも同じ人はいるはず」、「でも本当にいるのだろうか」──といった具合に。それはまだなんとか自問自答で済んでいたけれど、絶対にたどり着きたくない答えである「孤独」というものが、少しずつちらつき始めてもいた頃でもある。
そんな時に出会ったのがマドンナだった。
フェミニズムという言葉を教えてくれたマドンナ
自由に使えるお金などそんなになく、両親の不和によって不穏な空気が家の中を流れていることも多かった中学時代。近所の図書館は僕にとって最高の逃げ場だった。日々の喧騒から逃げるため図書館へと通っていた頃のある日、たまたま『マドンナの真実』というタイトルの本を目にした。
それは1991年にアメリカで出版され、翌年には日本でも和訳された評伝で(福武書店出版)、書いているのはアメリカのライターらしき人だった。当時はほとんど聴いたこともなく何の興味もなかったマドンナなのだが、なんとなく読んでみようと思い、本を開くことに。そこに広がっていたのは、僕が心のどこかで無意識ながらも欲し、探し求めていた言葉の数々だった。
“火を遠巻きにするぐらいならなかを突っきるほうがまし”
“子どものころから目標はひとつ、世界を征服したい”
“人生でいちばん腹がたった時期は十代”
“あたしはタフで野心的で自分が欲しいものがよくわかってるの。そのせいで不良娘といわれるんなら、それでけっこう”
“自分がパワフルだと感じるのって素敵。一生それを追及するつもり”
目次に書かれたこれらの言葉はマドンナの過去の発言から引用されたものだが、そのパワフルな響きに圧倒された。こんな風に怒りや願望をありのままに表現できることにあこがれると同時に、人生に対してここまで明確な答えを持っている人の中身を知りたいと思わずにはいられなかったのだ。そうやって各章を読み進めていった時、そこから彼女の悲しみのようなものが見え隠れした点もまた興味深かった。
“二度とあたしの心を傷つけさせやしない”
“だれにも心は渡さない”
“女の子たちからは男にだらしない女とみられ、男の子たちからはニンフォと呼ばれる時期が続いた”
“まだ処女のうちからそう呼ばれてたの”
“あたしはセクシャルな人間なの。そのどこが悪いの?”
本を読み進めていく中で目に入ったこれらマドンナの発言は、僕の抱えていた怒りや悲しみとは違うものだったが、不思議なことに心の内を代弁してもらえているような気持ちになれた。セックスの喜びを堂々と歌うことで反感を買い、少女の妊娠と決断をテーマにした曲を出して論争を起こし、さらには宗教と性や、男性と女性の両方に性的魅力を感じることなど、固定観念やタブー視されているものに真っ向から立ち向かって自己表現をしている姿に、激しくひきつけられたのだ。
そして、その固定観念やタブー視されているものこそが僕自身をも縛りつけているものだと、本当に少しずつではあるが、気づいていくこととなる。それから僕は、彼女に関して書かれた本を都内中の図書館から取り寄せて、読みあさった。自分の思いを代弁してほしい、という一心で。
やがて本を読んでいく中で、ある言葉と初めて出会う。その言葉こそが、“フェミニズム”だった。
「男らしさ」からの解放
マドンナに関する本の中に何度も出てきた“フェミニズム”という言葉が、具体的にどんなものなのかはわかっていなかった。それでも中学時代から高校時代にかけ、繰り返し観たマドンナのドキュメンタリーDVDに、そのヒントを見つけていた。
1991年に公開された『In Bed With Madonna』というドキュメンタリー映画では彼女のライブと舞台裏が映し出されるのだが、その中に出てくる『Express Yourself(自分自身を表現して)』という曲のパフォーマンスに、僕は感動を通り越して希望すら感じたのを覚えている(下記ツイート参照)。
・女より男が肌を露出
・男の性的客体化
・女主体の性表現
・マドンナが筋肉質
・女が男をリード
良い悪いは別として彼女にはフェミニズム的意図があったらしい。
ただゲイで死にたいと思ってた僕にも救いをくれた。
男らしさは捨てれるんだ、と。
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女性より男性の方が肌露出が多い
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男性の性的客体化
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女性主体の性表現
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女性の筋肉美を誇示
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女性が男性をリード
それまでに見てきた様々なエンタメやメディアにおける男女の描き方とは真逆で、その初めて見る女性像にまずは驚いた。また、既存の「女らしさ」を捨てたマドンナがこんな風に格好良く見えるということは、同じく「男らしさ」を捨てた男性も格好良くなれるんじゃないか。そして、男性が女性を導くのが普通というわけではなく、女性が男性をリードして導くことも、男性が女性にリードされ導かれることも、どちらも変なことではないんだと、その時に改めて気づかされたのだ。
それは、「男らしさ」を捨てようと僕が思い始めるきっかけになった。さらに言えば、セクシーな女性像を男性が見て楽しんでいるという光景が当たり前で、それになじめない人間はおかしいといった空気を感じていた僕にとって、男性だってセクシーな存在になれるし、セクシーな男性像に魅力を感じるのも何も変なことじゃないと言ってもらえたようで、それもとても嬉しかった。
自分らしさを教えてくれたシンディ・ローパー
時を同じくして、図書館で出会った女性歌手が他にもいる。当時通っていた図書館はCDの貸し出しもしていて、洋楽アーティストのアルバムも結構あったのだが、ふと気になって借りた作品の中に僕の心を揺さぶる歌手が何人かいた。その一人がシンディ・ローパーだ。
シンディはそのド派手なスタイルと、生きる喜びがわいてくるような歌声が魅力で、それによって一気に心をつかまれた。大ヒット曲『Girls Just Want to Have Fun』は、タイトル通り“女性はただ楽しみたいんだ”という内容の曲だ。
“女の子はね、みんな楽しみたいんだ 女の子はただ楽しみたいんだけなんだよ”
“男の子が綺麗な女の子を連れて、世界から隠してしまう 私は太陽の下を歩く存在になりたい”
Girls Just Want to Have Fun(1983年)
当時はこうした歌詞を深く考えずに聴いていた。その一方で、シンディのアルバムに入っていた解説文に「フェミニズムというのはブラを焼き払うようなことではない」という彼女のコメントが載っているのを見たり(内容はうろ覚えだが確かそんな内容だった)、彼女のヒット曲『She Bop』が女性のマスターベーションを堂々と歌ったものだという事実を知ったりしていく中で、シンディ・ローパーは女性の自由について声をあげている人なのだといった認識は少しずつ芽生えていたように思う。
だからこそ、自分らしさを見せることを怖がらないで、と歌う『True Colors』という曲を聴いた時、そのシンプルなメッセージから力をもらったし、女性として大きな何かと立ち向かっているシンディが歌うからこそ真実味が増すのだろうと心の片隅で感じ取っていた。
その大きな何かの正体や、この曲が多くのセクシャルマイノリティから支持を集めて世界的LGBTアンセムになっていたという事実を知るのは、ずっと後になってからだっただが。
“あなたの本当の色が見える それこそ私があなたを愛する理由
だからどうか怖がらないで あなたの本当の色を見せることを
本当の色というのは美しい まるで虹のように”
True Colors(1986年)
差別について教えてくれたジャネット・ジャクソン
そしてもう一人、図書館で出会った歌手で大きな影響を与えてくれたのがジャネット・ジャクソンだ。彼女の音楽はサウンドもだが、歌詞がとにかく格好良かった。
“お堅いわけじゃない、敬意が欲しいの”
“私の名前はベイビーじゃないから ジャネット、 ミス・ジャクソン”
Nasty(1986年)
“音楽とともに人種差別を壊そう”
“私たちはリズム・ネイションの一員”
Rhythm Nation(1989年)
“自分の性別のせいで 私は何度もNOと言われてきた
自分の人種のせいで 私は何度もNOと言われてきた
でもNOと言われる度に私は強くなった
それがアフリカ系アメリカ人の女性たる所以 誇り高く毅然と振る舞う”
New Agenda(1993年)
もちろん、これらの歌詞は単に格好良いだけではなく、ジャネット自身が実際に味わった女性差別・人種差別の体験にもとづく言葉そのものである。そういった事実や、構造的差別の存在、そしてブラックフェミニズムという概念を知るまでにはそれから長い年月がかかったが、彼女の歌詞を格好良いと感じた時、そこに見出だしていたのは差別や抑圧と闘う彼女の姿に他ならない。ゲイである自分をまだ受け入れられずにいた僕は、自分自身をそこに投影していた。だからこそ、ジャネットの力強い曲の数々は希望として映ったのだ。
さらに、同性愛者について言及した歌も彼女は出している。今のようにLGBTフレンドリーであることが当たり前ではなかった時代に、同性愛差別について声をあげてくれる人がいたという事実は、その後もことあるごとに僕を絶望的な孤独から救い上げてくれた。
“男と男が出会う 女と女が出会う
ルールは一つ ルールなんてない”
Free Xone(1997年)
孤独に寄りそってくれた浜崎あゆみ
やがて高校に進学し、周囲が恋愛やセックスの話で盛り上がったり、将来のことを考えさせられる機会が増えたりするにつれ、社会の抑圧というものを肌で感じていくこととなる。その頃になると図書館にも行かなくなっていたが、テレビをつければいつも目や耳に入ってくる歌手がいた。
それは浜崎あゆみだった。時は2000年代初頭、彼女が大ブレークした時期である。
マドンナやシンディ・ローパー、そしてジャネット・ジャクソンがいつも僕を奮い立たせてくれたのに対し、浜崎あゆみは、言語化できずにいた孤独を代わりに言葉にしてくれる人だった。彼女の『A Song for ××』という曲を聴いた時、「これは自分だ」と思ったのを覚えている。
“居場所がなかった 見つからなかった
未来には期待出来るのか分からずに”
“いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ
そんな言葉ひとつも望んでなかった
だから解らないフリをしていた”
A Song for ××(1999年)
誰も言葉にしてくれなかった、そして自分でも言葉にできなかった想いがここにある。そう感じた。正に歌詞通り、居場所がなかったのだ。家や学校という範囲だけでなく、この社会のどこにも見つからなかった。
高校時代の僕にとって浜崎あゆみは、たった唯一、孤独を代弁してくれる人であり続けた。また初期の彼女が、これだけ自己の内面を言語化する才能を持ちながら、テレビでは舌足らずなキャラクターでいたところにも、共感に似た感情を勝手に抱いていたように思う。
自分のことを誰かにわかってほしいという切望と、どうせきっと伝わらないだろうという絶望。当時はそれらが自分の心の中で入り交じっていたのだ。だから何も解らないフリをしていた、僕自身も。
やがて、浜崎あゆみを聴いていく中でも、やはりフェミニズムへとたどり着いた。彼女が女性として感じていること──時には怒りさえも表明する楽曲の数々に。
“a women never runs away”
Real me(2002年)
“都合よく存在してる訳じゃない”
my name's WOMEN(2004年)
“喋りたいんならママに言ってね坊や達”
Lady Dynamite(2010年)
これらを繰り返し聴いていく中で改めて感じたのは、ゲイとして女性歌手から受け取ったエンパワーメントと、女性自身へのエンパワーメントは、常に近いところにあるのだということ。彼女たちが闘っている相手と、僕が闘わなければいけない相手は同じなのではないか、と。2017年には、浜崎あゆみ自身がインスタグラムでこう発言している。
「日本はどうしてこんなにもマイノリティへの理解がなかなか進まないのだろう(中略)例えばLGBTの人達に関するセクシャルマイノリティーしかり、女性が男性社会で権力を持ち発言しようものならマイノリティーオピニオンだ、と。だったら私はマイノリティーの一部として発信し続けようじゃないの」
フェミニズムに救われた男性として
ここで男性の立場から、「フェミニズムはまわりまわって男性を解放するから、男性も女性の人権について考えよう」などと言うつもりは全くない。男性側にメリットがあるという理由で、女性の人権について男性が声をあげるというのは、決してフェミニズムなんかではないはずだから。
それを前提とした上で言わせてもらうと、僕は間違いなくフェミニズムに救われた男だ。セクシャルマイノリティとしての僕は、いつだって女性アーティストの発信するフェミニズムに救われてきた。ただ、男性としての僕は社会におけるマジョリティであり、それゆえに享受してきたものも多々ある。そのことに無自覚なままでいるのは、女性歌手が人生をかけて表現してきたものにフリーライドしているだけに過ぎない。
だからこそ、女性歌手たちから教えてもらった姿勢や生き方を、常に自分自身に伝え続けていきたいと思っている。男性中心の社会からの抑圧につぶされないように。そして、抑圧をする側にならないように。
それは自分の中でメンズリブやセルフラブ、はたまたゲイアクティビティといったものへと形を変えていくこともある。もっと噛み砕くと、「男ならこうあるべき」の呪いを捨てることだったり、ありのままの自分自身を許容することだったり、その上で社会に対して声をあげることだったり。でも僕にとって、その根本にあるものはいつだってフェミニズムなのだ。
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