BLの「攻め・受け」呼称にゲイとして思うこと

「攻め・受け」理論に性愛の概念を引きずられてしまっているようなBLを時々目にする。
性的役割分担という概念から解放されやすいはずの同性カップルの話で、「挿入される側=受け身=女性的な役割」といった旧来のジェンダー観を再構築しているBLを見るとモヤモヤしてしまうという話。
富岡すばる
2021.11.06
誰でも

これは決して怒っているわけでも、抗議をしたいわけでもないので誤解してほしくないのだが、BLにおける「攻め・受け」呼称に対して違和感を抱くことがたまにある。その呼び方だと使い勝手がいいというのも頷けるし、僕も「攻め・受け」という言葉を使うことはあるので、それを使うなという意味ではない。ただ無条件に、男性器を挿入する側を「攻め」と扱い、挿入される側を「受け」と扱うのは、現実における男性同士の関係性に即していないなと感じてしまう時があるのだ。

挿入する行為は「攻め」なのか

BLはあくまで恋愛ファンタジーであり、実在する男性同士のカップルの現実を必ずしも全て反映させるべきだとは考えていないが、挿入する方が「攻める側」で、挿入される方が「受ける側」だと額面通りに捉えるのは、旧来の男女モノにありがちな古臭い固定観念の再構築に思えて仕方がない。性器を挿入する側が必ずしも攻める役割を担うわけではないし、挿入される側がリードしたり攻めたりする場合だって普通にある。セックスのポジションが、そのままカップルの力関係とイコールになりがちなことに疑問を抱いてしまう。

じゃあ何と呼べばいいのかと言えば、やはりゲイコミュニティ内で使われる「タチ(挿入する側)・ネコ(挿入される側)」という呼称が最もしっくりくる。この言葉には、双方のパワーバランスを指す意味合いが一切含まれていないからだ。単純に挿入する側か、される側か、という情報しかない。例えば僕自身、男性とセックスをする際にネコのポジションを選んだとしても、別に全てにおいて受け身などではないし、むしろ攻めたり引っ張っていったりもしたいので、「受け」と呼ばれるといまいちピンと来ない。だからこそ、ネコという呼称の方が合っているなと感じるのだ。

しかし、タチ・ネコという単語が一般的ではないことは承知しているし、主に閉ざされたコミュニティ内で使われている隠語が公に広がることを望んではいないので、僕もBLについて語る際には便宜上「攻め・受け」呼称を使っている。

「受け」を女性の代用として捉えること

だから繰り返しになるが、「攻め・受け」という呼び方そのものに疑問を抱いているわけではない。ここで問題視しているのは、「挿入される側=受け身=女性的な役割」といった、旧来の男女モノにありがちな価値観に引きずられているBLが少なくないということ。例えば、出会いのきっかけが上司から部下へのパワハラだったり、セクハラやレイプといった性暴力によって受けが攻めに蹂躙されていったりと、往々にして男性から女性に対して行われてきたようなことをそのまま男性間で再現させている作品をよく見かける。作品によっては受けが攻めに対して性暴力をふるう場合もあるが、問題の本質は変わらない。

先日、Twitterを見ていた際に広告で流れてきたBL漫画があるのだが、それも正にこのパターンだった。NOと言いづらい状況で部下(受け)が上司(攻め)から強引に迫られたり、「女役」という言葉が出てきたり、受け役になることを「情けない」といった台詞で表現していたり。ごく一部分を見ただけではあるし、続きでこれらの描写が覆される可能性もあるが、要所に古臭いジェンダー観を感じずにはいられなかった。

もしストーリー上、どうしてもそうした場面を描く必要があったとしても、ハラスメントや偏見を助長する内容であってはいけないと思う。作品内でハラスメントや偏見をきちんと描くことと、作者が自身のハラスメントや偏見を作品内で露呈させることは全く別物だ。

そもそも男性同士に限らず、男女間の性行為であっても、肉体的に「挿入される側」になりやすい女性が皆そのまま受け身的な役割分担を好むとは限らない。当たり前のことではあるが。

しかしながら、女性は性的にも精神的にも受け身で、男性が常にリードするものだという考えに縛られた作品や事象は、未だにそこら中に溢れている。だから男性同士という、言ってみれば性的役割分担といった概念から解放されやすいはずの関係性においても、わざわざその固定観念を当てはめてしまうところに問題の根深さを感じてしまうのである。

同性カップルに「男役」「女役」はない

ゲイである僕が声を大にして言いたいのは、同性カップルは「異性カップルの同性版」なんかではないということ。同性カップルは同性同士のカップルであり、そこに「男役」や「女役」などというものはないし、そうやって異性愛の基準に当てはめて考えてほしくない。

と同時に、それに近いことは異性カップルに対しても言えることで、たとえ男女間であっても、男性がリードして女性はそれに従うというような型にはまった役割分担は本来なくていいはずなのだ。そして、そうした固定観念や、それを温存させてしまう社会構造をこれからもっと変えていけたらと僕は思っている。

念のため言うと、今までに読んできたBLは素晴らしい作品の方が多かったし、性的役割分担という概念に囚われないものも多々あった。逆に、僕が自分の中の固定観念に気付かされたこともある。作中で男性を「美人」と形容するBLに出会った時には、その言葉が女性にしか当てはまらないと思い込んでいたことや、性別を特定しないはずの「美人」という言葉が女性ばかりに使われやすい男女非対称さに、ハッとする思いだった。

だから、BLにおける「攻め・受け」呼称をやめてほしいなどとは思っていないのだが、それでも「攻め・受け」理論に性愛の概念を全て引きずられてしまっている作品に出会う度、何とも言えない気持ちになる。たとえ恋愛ファンタジーといえども、同性愛者や男性同士のカップルに対する偏見を助長してほしくないと思うと同時に、あなた自身もジェンダーの偏見に縛られていないだろうか、と作者に問いたくなるのだ。

自分を縛りつけているものは、時に他者を縛りつけるものにもなってしまう。果たして僕自身はそうなっていないか。いつもそれを問い続けていきたい。

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